東京高等裁判所 平成7年(ネ)4842号 判決 1996年12月11日
東京都中央区八重洲1丁目4番14号
平成7年ネ第4842号事件被控訴人・
株式会社ローゼンホーフ(以下「一審原告」という。)
同第4927号事件控訴人・
平成8年ネ第210号事件附帯被控訴人
右代表者代表取締役
中村富茂夫
右訴訟代理人弁護士
畠山保雄
同
石橋博
同
中野明安
《住所省略》
平成7年ネ第4927号事件被控訴人・
守谷和剛(以下「一審被告和剛」という。)
平成8年ネ第210号事件附帯控訴人
右訴訟代理人弁護士
藤田謹也
同
土居久子
《住所省略》
平成7年ネ第4842号事件控訴人・
田中末芳(以下「一審被告田中」という。)
同第4927号事件被控訴人
《住所省略》
平成7年ネ第4842号事件控訴人・
大澤浩吉(以下「一審被告大澤」という。)
同第4927号事件被控訴人
《住所省略》
平成7年ネ第4842号事件控訴人・
守谷武紘(以下「一審被告武紘」という。)
同第4927号事件被控訴人
《住所省略》
平成7年ネ第4842号事件控訴人・
守谷春子(以下「一審被告春子」という。)
同第4927号事件被控訴人
《住所省略》
平成7年ネ第4927号事件被控訴人
福田維明(以下「一審被告福田」という。)
右一審被告5名訴訟代理人弁護士
水石捷也
同
長谷則彦
同
秋元善行
主文
一 一審被告田中,同大澤,同武紘及び同春子の各控訴並びに一審被告和剛の附帯控訴に基づき,原判決主文第一項を次のとおり変更する。
1 東京都観光汽船株式会社に対し,各自,
一審被告和剛は1億0937万9122円及びこれに対する平成5年3月5日から支払ずみまで年5分の割合による金員を,
一審被告田中及び同武紘は,1億1337万9122円及びこれに対する平成5年2月19日から支払ずみまで年5分の割合による金員を,
一審被告大澤は,1億1337万9122円及びこれに対する平成5年2月18日から支払ずみまで年5分の割合による金員を,
一審被告春子は,5668万9561円及びこれに対する平成5年2月18日から支払ずみまで年5分の割合による金員を
支払え。
2 一審原告のその余の請求をいずれも棄却する。
二 一審原告の控訴をいずれも棄却する。
三 訴訟費用のうち,一審原告と一審被告福田との間に生じた控訴費用は一審原告の負担とし,一審原告とその余の一審被告らとの間に生じた分は,第一・二審を通じてこれを5分し,その3を一審原告の,その余を右一審被告らの各負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 一審原告
1 原判決を次のとおり変更する。
(一) 東京都観光汽船株式会社(以下「観光汽船」という。)に対し,一審被告和剛,同田中及び同大澤は3億0018万6666円及び原判決別紙債権目録1記載(ただし,同目録の【注】のうち,「58」を「57」に,「59」を「58」に,「82」を「85」に,「83」を「86」に,「110」を「113」に,「111」を「114」にそれぞれ改める。)の金員を,同武紘は2億7109万5299円及び同目録1記載37以下の金員を,同春子は1億5009万3333円及び同目録2記載(ただし,同目録の【注】のうち,「58」を「57」に,「59」を「58」に,「82」を「85」に,「83」を「86」に,「110」を「113」に,「111」を「114」にそれぞれ改める。)の金員を各自連帯して支払え。
(二) 観光汽船に対し,一審被告田中,同大澤,同武紘及び同福田は2250万円及び内1000万円に対する平成2年8月31日から,内1250万円に対する平成3年2月28日からいずれも支払ずみまで年5分の割合による金員を,同春子は1125万円及び内500万円に対する平成2年8月31日から,内625万円に対する平成3年2月28日からいずれも支払ずみまで年5分の割合による金員を各自連帯して支払え。
2 一審被告田中,同大澤,同武紘及び同春子(以下「一審被告田中ら4名」ともいう。)の各控訴並びに同和剛の附帯控訴をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は第一,二審とも一審被告らの負担とする。
4 仮執行の宣言。
二 一審被告和剛
1 一審原告の控訴を棄却する。
2 附帯控訴として
(一) 原判決中一審被告和剛の敗訴部分を取り消す。
(二) 一審原告の一審被告和剛に対する請求を棄却する。
3 訴訟費用は第一,二審とも一審原告の負担とする。
三 一審被告田中ら4名
1(一) 原判決中一審被告田中ら4名の敗訴部分をいずれも取り消す。
(二) 一審原告の右一審被告らに対する請求をいずれも棄却する。
2 一審原告の控訴をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は第一,二審とも一審原告の負担とする。
四 一審被告福田
一審原告の控訴を棄却する。
第二事案の概要
次のとおり付加,訂正するほか,原判決の「事実及び理由」第二に記載のとおりであるから,これを引用する。
一 原判決の訂正
1 原判決3枚目裏10行目の次に行を変えて「原判決は,一審原告の一審被告福田に対する請求を棄却したが,その余の一審被告らに対する請求をいずれも一部認容し,これに対して,一審原告(平成7年ネ第4927号事件)及び一審被告田中ら4名(平成7年ネ第4842号事件)がいずれも控訴し,一審被告和剛が附帯控訴した(平成8年ネ第210号事件)。」を加える。
2 同4枚目表9行目の「の従兄弟」を「とは母親がいとこ」に改める。
3 同6枚目表7行目の「被告和剛」から同行末尾までを「観光汽船の子会社である汽船興業(甲19の1ないし6によれば,汽船興業の代表取締役は,昭和59年8月31日までが一審被告和剛,同日以降が一審被告田中であることが認められる。)は,」に改める。
4 同7枚目表1行目の末尾に「(昭和57年2月分の残金5万5857円及び同年3月分より同年11月分まで毎月17万5000円宛)」を,同2行目の末尾に「(昭和57年3月分より昭和58年12月分まで毎月1万7600円宛)」をそれぞれ加える。
5 同8枚目裏末行の次に行を変えて「4 一審原告は,平成4年11月20日到達の書面で,観光汽船に対し,一審被告らの責任を追求する訴えの提起を請求したが,同社は,30日以内に右訴えを提起しなかった。」を加える。
6 同12枚目裏5行目の「である」を「であり,一審被告ら個人の利益のためにしたものではない」に改め,同10行目の「被告和剛が汽船興業を代表して」を削り,同末行から同13枚目表1行目にかけての「並びにこれを阻止しなかった」を「が,」に改める。
7 同13枚目表1行目の「の行為が」を「につき,」に改め,同2行目の「違反し」の次に「たとして」を加える。
8 同15枚目表1行目の冒頭に「損害賠償請求権は,その損害が発生したときに成立し,同時にその権利を行使することが法律上可能になるので,」を加える。
二 当審における主張
1 権利濫用について
(一) 一審被告田中,同大澤,同武紘,同春子及び同福田(以下「一審被告田中ら5名」ともいう。)
(1) 一審被告和剛は,昭和47年に観光汽船を買収した際,守谷正平の父守谷一郎に和剛と同じ40万株を1株5円で割り当てた。一審被告和剛が代表取締役であったケイアンドモリタニと守谷一郎が代表取締役をしていた株式会社守谷商会(昭和49年10月に守谷一郎が死亡した後は,守谷正平が代表取締役に就任した。以下「守谷商会」という。)とが既に取引をしており,かつ,一審被告和剛と守谷一郎とがいとこの関係にあったので,同一審被告が守谷一郎に株式を引き受けて貰ったのである。
(2)① 一審被告和剛は,観光汽船の運転資金として守谷商会から7602万円を借り受けたが,右借入金の返済期が極めて短期であり,再三返済を求められて,両名の関係は悪化した。そこで,同一審被告は,守谷一郎との関係を解消しようと考え,借入金を返済した上,守谷一郎から観光汽船の株式40万株を1株10円で買い取ることにした。その後,守谷一郎の要求により,右40万株を一時にではなく,毎年10万株ずつに分けて買い取ることになり,一審被告和剛は,昭和48年末にまず10万株を100万円で買い取った。
② 一審被告和剛は,昭和49年,守谷一郎に対して,同年分の10万株の買取りを申し出たが,それが実行されないうちに,同年10月,同人が死亡したため,観光汽船の株式30万株が遺産となった。
③ 一審被告和剛は,昭和57年6月,守谷正平から観光汽船の守谷一郎名義の30万株について名義書換えを求められ,以上のような経緯があるのでこれを拒否したが,同年10月,守谷正平の懇請により,観光汽船に一切介入しないことを確認して,名義書換えに応じた。
(3)① 一審原告は,昭和61年3月に設立された会社で,その業務内容は,書画,骨董,美術工芸品等の販売等であるが,実際に活動しているかどうか不明の会社である。
② 守谷正平は,昭和62年3月,観光汽船の株式30万株のうち15万株について,税務対策上,一審原告に名義書換えをしたいと要求し,観光汽船に応じさせた。
③ 一審原告の代表取締役には,当初,守谷正平の母守谷彩子が就任したが,平成4年10月28日,本件訴訟を追行する目的で守谷商会の総務担当であった中村富茂夫が代表取締役に就任した。そして,平成5年11月8日開催の観光汽船の臨時株主総会において,守谷正平の意向を受けて平成3年5月から監査役に就任した山本邦明が解任されると,同人も,一審原告の代表取締役に就任した。
④ 以上のことから,一審原告は,守谷正平のために本件訴訟を提起,追行するためのダミー会社であると推認される。
(4) 守谷正平は,平成4年9月ころ,観光汽船の監査役であった山本邦明を介して,一審被告田中らに対し,第三者割当増資を要求し,これが断られると,平成5年1月,一審原告の名で本件訴訟を提起した。
(5) 本件訴訟は,守谷正平らが,好業績の観光汽船に介入,支配することを企図し,株主代表訴訟をちらつかせることによって,何ら必要性のない第三者割当増資を実行させ,観光汽船の株式の過半数を握ろうとして提起したものであるから,権利の濫用であるというべきである。
(6) 右のことは,当審における和解の際における一審原告の要求等(丙34,36)を見ても明らかである。
(二) 一審被告和剛
守谷正平が,観光汽船の第三者割当増資及びその増資分のすべてを一審原告に引き受けさせるべきことを要求したのは,それまでの経営危機を脱して経常利益を飛躍的に向上させた観光汽船の経営権を取得することにより,その収益を自らの手中に収めようとしたためであることは明らかであり,形式的に第三者割当増資を求める行為自体が社会的に相当な行為であっても,右のような「不当な個人の要求を追求する手段」として代表訴訟を提起することが,株主権の濫用に当たることは明らかである。
(三) 一審原告
(1) 一審原告は,平成4年3月上旬に東京地方裁判所でケイアンドモリタニの訴訟書類を閲覧した際に,亡理助,一審被告田中,同大澤及び同武紘(以下「亡理助」ともいう。)並びに一審被告和剛及び同福田の具体的違反行為を発見したが,観光汽船やその取締役らが監査役である山本邦明による違法行為に関する指摘を黙殺したので,時効の関係からも訴訟提起をせざるを得なかったのであって,一審原告が,観光汽船に対し,第三者割当増資を求める交渉材料として本件訴訟の提起を持ち出したことはない。
(2) 一審被告らが一審原告の違法行為の指摘に対し沈黙を守っていたので,平成4年9月25日,当時観光汽船の監査役をしていた山本邦明は,観光汽船の業務の健全性の回復を目的とし,一審被告らの反応を引き出すため,一審被告大澤に対し,一審原告側への第三者割当増資を提案した(甲1)が,誤解を避けるため,同年12月20日,一審被告田中及び同大澤に対し,一審原告による第三者割当増資の提案は希望である旨の書簡(丙20)を送付したのである。
(3) 一審原告が本件訴訟を提起した真意は,山本邦明が観光汽船の代表取締役であった一審被告田中宛に出した平成4年4月21日付け書簡(甲4ないし9)で亡理助,一審被告田中,同大澤及び同武紘(以下「亡理助ら」という。)並びに一審被告和剛及び同福田の善管注意義務・忠実義務違反の事実を指摘したのに,一審被告らがこれに対して何ら具体的な回答を示さなかったことにある。判明した亡理助ら並びに一審被告和剛及び同福田の違法行為による観光汽船の損害額は約3億円であったが,これは観光汽船の資本金6150万円の4.8倍,平成3年3月31日現在の総資産額16億7400万円の18パーセント,流動資産額の4億9800万円の60パーセント(丙9)に当たるのであり,このような巨額の損害を観光汽船の株主が黙認することはあり得ないのである。
2 昭和57年4月以前のケイアンドモリタニに対する貸付けについて
(一審原告)
(一)(1) 一審被告和剛が昭和55年8月7日から観光汽船の株主ではなくなったため,一審被告大澤(19万7000株)及び亡理助(10万株)の株式を合わせても29万7000株(全体の24パーセント)にすぎず,また,観光汽船の実際の意思決定及び職務執行は,昭和48年ころから昭和52年ころまでは,亡理助と一審被告田中の合議に基づいて行い,昭和53年以降は,一審被告大澤,同田中及び亡理助の合議に基づいて行い,観光汽船の実印の管理は,昭和48年ころから昭和59年ころまでは亡理助が行っていた。一方,ケイアンドモリタニの意思決定及び職務執行は,一審被告和剛がワンマン的に行っていた。そして,観光汽船とケイアンドモリタニとは,資本的には全く関係がなかったし,事業的にも相互間に依存・補完関係はなかった。しかも,一審被告和剛は,観光汽船,汽船興業及びケイアンドモリタニの3社の株式とも,その過半数を所有したことはなかったのであるから,一審被告大澤と亡理助とが他の株主の協力を求めれば,一審被告和剛を代表取締役の地位から解任することもできたはずである。したがって,観光汽船とケイアンドモリタニとは,「グループ企業」という特別の関係にはなかったのである。
(2) ケイアンドモリタニの昭和52年以降の経営状態は悪化の一途を辿っていて,昭和54年3月31日時点で,観光汽船からケイアンドモリタニに対する貸付残高は2420万8168円に上っていた。また,ケイアンドモリタニの銀座バースでの事業は,河川法に基づく使用許可という脆弱な利用権に基づくものであるにもかかわらず,河川法に違反する極めて不健全な事業活動であったので,河川法による許可が得られず必ず破綻することは予見できたことである。
ケイアンドモリタニのヨットクラブが倒産に至る昭和59年10月まで続けられたのは,昭和57年から中央区長が書面により観光汽船に違法行為の是正計画の提出を要請したのに対し,観光汽船が勧告の趣旨に沿うよう努力する旨答弁しておきながら,何ら具体的な是正措置を採らなかったことによるものである。
(二) 一審被告和剛による昭和54年4月5日以降のケイアンドモリタニに対する貸付け及び債務保証並びにこれを阻止しなかった亡理助ら(ただし,一審被告武紘については昭和58年5月26日から)の行為は,取締役の善管注意義務・忠実義務に違反するものである。
3 昭和57年4月以降のケイアンドモリタニに対する貸付け及び債務保証について
(一) 一審被告田中ら5名
(1) 原判決が,昭和57年4月以降について,一審被告田中ら4名の損害賠償義務を認めたのは,ケイアンドモリタニがヨットハーバーとして利用していた銀座バースの占用許可の更新が同月には行われなかったため,ケイアンドモリタニの経営基盤が更に危うくなり,一審被告田中,同大澤らには,倒産に至ることが十分予見可能であったと判断したためと思われる。
しかしながら,右の更新がなかったことは,ケイアンドモリタニの経営状態を悪化させる原因とはなっていない。許可申請を何度も繰り返せば,いずれは更新される可能性があった。現に,ケイアンドモリタニのヨットクラブでは,倒産に至るまで占用を継続していたのである。たまたまケイアンドモリタニが倒産して,銀座バースの占有が第三者である株式会社ジー・エム・シーに移転していたことが判明して問題が大きくなり,最終的には,昭和63年に東京都からの原状回復命令によって原状回復がされたが,仮に,倒産という事態が生じなければ,占用許可の更新は十分可能であったのであり,亡理助ら及び一審被告和剛は,右のように認識していたのである。
(2) 亡理助らとしては,ケイアンドモリタニの事業の好転を信じており,これが倒産するとの予見はできなかったし,また,個々の貸付け等が回収不能になることも予見できなかった。
ケイアンドモリタニが決定的ダメージを受けたのは,昭和58年暮から昭和59年2月にかけて,融通手形の交付先が不渡手形を出したために損害を被ったためである。一審被告田中ら5名は,ケイアンドモリタニが融通手形を交換していることを全く知らず,昭和58年暮又は昭和59年2月以前には,ケイアンドモリタニが倒産することを十分に予見し得る状態にはなかった。一審被告大澤及び亡理助は,登記簿上はケイアンドモリタニの役員であったが,昭和54年ころは,専ら観光汽船の業務に従事していたのであり,一審被告田中は,ケイアンドモリタニの役員ですらなかった。ケイアンドモリタニは,一審被告和剛がワンマンとして経営しており,亡理助らは,その経営内容を知ることができる状態にはなかったのである。
(3) 昭和57年4月以降の観光汽船のケイアンドモリタニに対する個々の貸付け等について,亡理助らの判断は,観光汽船の利益を守るためであって,貸付け等を実行したことが企業人としての合理的な選択の範囲内にあった。そして,業績の良かった観光汽船にとって特段の負担にはならなかった。
① 昭和57年5月から昭和59年3月12日までの合計2450万円の貸付けについて
これらの貸付けについて,観光汽船の取締役会が開催されたことはない。観光汽船の業績からいっても,特段の負担にはならないものであった。
② 昭和58年3月及び4月のセンチュリーリース及び昭和リースに対する債務保証について
ケイアンドモリタニの事務合理化(オフコン・ワープロ等の設置)のためのリース契約についての保証であり,観光汽船としては,ケイアンドモリタニの事業の好転を期待できる時期であったので,企業人として合理的な選択の範囲内である。
③ 昭和58年10月の協和銀行に対する5000万円の債務保証について
ケイアンドモリタニの運転資金の借入れについての保証であり,観光汽船としては,ケイアンドモリタニの事業の好転を期待できる時期であったので,企業人として合理的な選択の範囲内である。
④ 昭和58年11月5日の1億円の貸付けについて
これは,観光汽船及びケイアンドモリタニの各所有物件について,観光汽船を債務者として協和銀行に根抵当権を設定して借り入れたものをケイアンドモリタニに貸し付けたものであるが,既に同一別件につき,昭和54年3月30日観光汽船を債務者として全国信用協同組合連合会に債権額5000万円の抵当権を設定してした借入れと,同日及び昭和57年12月20日ケイアンドモリタニを債務者として第三信用組合に極度額2000万円(後に3000万円に変更)及び7000万円の根抵当権を設定してした借入れの借り替えである。
借り替えの理由は,高い金利を安くするためである。観光汽船のグループ企業であるケイアンドモリタニの負担を少しでも軽くすることが,ひいては観光汽船の利益になると考えることは,合理的な選択の範囲内である。
⑤ 昭和59年4月以降の合計4000万円の貸付けについて
亡理助らがケイアンドモリタニが倒産するかも知れないことを認識したのは,昭和59年4月の観光汽船の取締役会の席上である。
ケイアンドモリタニの倒産によって,公共輸送機関である観光汽船への直接的な影響が及ばないような対処,手段を講じるには時間が必要で,その間つなぎの融資をしてでも,観光汽船を守るしかないと判断し,ケイアンドモリタニには合計4000万円の貸付けを行った。1日に1000万円を超える売上げのある5月のゴールデンウィークを控えており,観光汽船のためにはやむを得ない選択というべきである。
(二) 一審被告和剛
(1) 原判決が,昭和57年4月以降について,一審被告田中ら5名の損害賠償義務を認めたのは,ケイアンドモリタニがヨットハーバーとして利用していた銀座バースの占用許可の更新が同月には行われなかったため,ケイアンドモリタニの経営基盤が更に危うくなり,一審被告田中,同大澤らには,倒産に至ることが十分予見可能であったと判断したためと思われる。
しかしながら,右の更新がなかったことは,ケイアンドモリタニの経営状態を悪化させる原因とはなっていない。一審被告和剛としては,昭和57年3月当時も,何度か許可申請を出していれば許可されるであろうとの認識を有していた。ところが,昭和59年にケイアンドモリタニが倒産するに至り,債権者である暴力団が勝手に銀座バースを無断増改築し,これが新聞・テレビで報道された結果,東京都では銀座バースが違法占有である旨の回答をせざるを得なくなったのである。
ケイアンドモリタニが倒産する直接のきっかけとなったのは,昭和58年10月に,融通手形の振出先である勝山マリーナ及び大成マリンが倒産し,約1億円の債務を負ったためである。ケイアンドモリタニは,その後,急激に資金繰りに窮するようになり,昭和59年10月に倒産した。
(2) ケイアンドモリタニは,昭和59年3月31日ころまで各債務の返済を継続していたのであり,このような返済実績からすれば,同年6月末ころまでは,ケイアンドモリタニの倒産等同社への貸付金の回収不能の危険性が具体的に予見できる状況にあったとはいえず,観光汽船において,同一企業グループの一員であるケイアンドモリタニが営業上の売買契約あるいはリース契約を締結する際に債務保証をしたとしても,経営上の判断として何ら問題はないはずである。
① 昭和58年3月25日のケイアンドモリタニのセンチュリーリースからの融資分2058万円の債務保証について
ケイアンドモリタニは,右の融資に対する返済を継続し,昭和59年11月末の残高は1406万3000円となっているのであるから,観光汽船が債務保証をした時点で,ケイアンドモリタニが継続して返済し完済できるものと判断したとしても,何ら不自然ではない。
② 昭和58年4月末のケイアンドモリタニの昭和リースからの融資分4545万円の債務保証について
ケイアンドモリタニは,右の融資に対する返済を継続し,昭和59年11月末の残高は3181万円となっているのであるから,観光汽船が債務保証をした時点で,ケイアンドモリタニが継続して返済し完済できるものと判断したとしても,何ら不自然ではない。
③ 昭和58年10月末のケイアンドモリタニの協和銀行からの融資分5000万円の債務保証について
ケイアンドモリタニは,右の融資に対する返済を継続し,昭和59年11月末の残高は3000万円となっているのであるから,観光汽船が債務保証をした時点で,ケイアンドモリタニが継続して返済し完済できるものと判断したとしても,何ら不自然ではない。
④ 昭和58年11月5日付け1億円の融資について
前記(一)(3)④と同旨。
(三) 一審原告
(1) 原判決は,昭和58年11月5日の1億円の貸付けのうち少なくとも5000万円については,右時期以前から観光汽船が債務を負っており,右時期以降に実質的に新たな債務を負担したものとは認められないとし,かつ,昭和63年1月ころ,破産管財人が観光汽船に3700万円を支払ったとして,1億円のうち賠償義務の対象となるのは1300万円にすぎないとしている。
しかし,昭和54年4月5日以前の観光汽船のケイアンドモリタニに対する貸付残元本額は約2420万円にすぎないから,控除するとしてもその額は約2420万円にすぎないはずである。また,破産管財人が支払った3700万円は,1億円に対して支払われたものであるから,右1億円のうち賠償金額と対象外金額との按分割合に応じて控除すべきである。
(2) 一審被告和剛は,観光汽船の取締役退任後も,代表取締役当時の違反行為の継続として,昭和59年9月4日,一審被告田中らと通謀して観光汽船からケイアンドモリタニに400万円の貸付けをさせたのであるから,一審被告田中らとともに右の行為について賠償責任を負うと解すべきである。
4 汽船興業の銀座ヨッティングクラブ会員権の取得及びケイアンドモリタニに対する貸付けについて
(一) 一審原告
汽船興業の発行済株式は,その約75.2パーセントが観光汽船によって保有されており,22.3パーセントは亡理助ら及び一審被告福田ら観光汽船の経営支配側役員に保有され,残りの僅か100株も観光汽船の経営側関係者で保有されており,観光汽船の取締役全員が汽船興業の取締役を兼務しており,代表取締役も同一人であるから,両社はいわば一心同体であり,汽船興業は,観光汽船の経営者の意のままにできる企業である。
右のような関係にある汽船興業と観光汽船の場合において,既にケイアンドモリタニが倒産必至の状態になって以降,ケイアンドモリタニ,観光汽船及び汽船興業の代表取締役として,観光汽船の利益を原資として,汽船興業のために銀座ヨッティングクラブの会員権を取得し,ケイアンドモリタニに金銭を貸し付け,同社の経費を負担したときは,汽船興業の取締役として善管注意義務・忠実義務に違反することは自明であるが,一種の法人格否認の法理の類推又は権利の濫用の法理の類推により,観光汽船の取締役としての善管注意義務・忠実義務に違反すると考えるべきであるし,これによる汽船興業の損害は,それ自体観光汽船の損害と考えるべきである。
(二) 一審被告田中ら5名
仮に,一審被告和剛が汽船興業の代表者としてケイアンドモリタニに貸付け等をした行為が汽船興業の取締役としての善管注意義務・忠実義務に違反する行為であり,これによって汽船興業に損害を与えたとしても,汽船興業が観光汽船の100パーセント子会社であることから,当然に,右の損害が観光汽船の損害になり,ひいては観光汽船の取締役の善管注意義務・忠実義務に違反する行為となるものでないことは,明らかである。
5 破産債権届出の取下げについて
(一) 一審原告
前記2(一)(1)記載のとおり,観光汽船とケイアンドモリタニを「グループ企業」という特別な関係にあるものと考えることはできない上,観光汽船のケイアンドモリタニに対する破産債権は,亡理助及び一審被告和剛の取締役としての善管注意義務・忠実義務違反により生じた債権であるから,安易に取り下げるべきではなかったのであり,日本の経済社会における一般の企業意識という別次元の理由によって破産債権届出の取下げが合理的と評価されるべきではない。
(二) 一審被告田中ら5名
観光汽船としては,ケイアンドモリタニとはグループ企業であると見られながら,ケイアンドモリタニの破産配当金の約50パーセント(約3800万円)を取得するのでは,他の債権者に対してまことに気の毒というほかなく,観光汽船の良いイメージを保持するため,破産管財人の合理的な要請を十分検討し,敢えて取下げの途を選択したのであるから,一審被告らには,観光汽船の取締役としての善管注意義務・忠実義務違反はない。
6 裁判上の和解について
(一) 一審原告
別件各訴訟においては,一審被告大澤及び亡理助が敗訴する可能性はあったが,観光汽船が敗訴する可能性はなかった。したがって,観光汽船が和解をする必要はなかったし,仮に和解をするとしても,観光汽船が支払うものとされた和解金の最終負担者を一審被告大澤及び亡理助とし,両名に対して速やかに,観光汽船が支払った和解金の弁済を求めるべきであった。
(二) 一審被告田中ら5名
別件各訴訟において,観光汽船の訴訟代理人である弁護士から,世間からグループ企業とみられていた観光汽船に100パーセント責任がないとはいえないと言われたこと,担当裁判官からは観光汽船として和解するよう勧められたこと,訴えを起こした債権者の中には,ケイアンドモリタニのため資産を失った者もあること,及び仮に判決となった場合に,観光汽船が敗訴する可能性が全くなかったとは言えないことなどの事情を総合して,観光汽船としての責任を考慮し和解に応じることにしたのである。法律の専門家から裁判上の和解を勧められ,十分協議してこれに従うことは,何ら観光汽船の取締役としての善管注意義務・忠実義務に違反するものではない。
7 消滅時効について
(一) 一審被告田中ら5名及び一審被告和剛
原判決は,消滅時効の起算点を債権成立の時としながら,昭和57年4月以降昭和58年1月19日までの貸付金合計720万円に対する損害賠償請求権の時効消滅を認めなかったのは矛盾である。
(二) 一審原告
損害賠償請求権は,その損害が発生した時に成立し,同時にその権利を行使することが法律上可能になるので,その消滅時効は,損害が発生した時から進行を始めると解すべきである。本件においては,第三者は,亡理助及び一審被告和剛の善管注意義務・忠実義務違反行為による債権の回収が不能であるという客観的,形式的事実が発生しないと,損害が発生したものとは通常認めにくいから,消滅時効の起算点は,各貸付日毎に考えるべきではなく,観光汽船が善管注意義務・忠実義務違反行為による債権及び保証債務支払額の償却を始めた昭和60年3月末であると解すべきである。
第三争点についての判断
一 権利の濫用について
当裁判所も,一審原告の本件訴えは,権利の濫用に当たらないものと判断する。その理由は,当審における主張に対する判断を次のとおり付加するほか,原判決の「事実及び理由」第三の一に説示のとおりである(だたし,原判決15枚目裏1行目の「田中本人」の次に「,当審における一審被告大澤本人」を加える。)から,これを引用する。
1 一審被告らは,本件訴訟の提起は株主権の濫用に当たる旨主張するところ,証拠(甲2,4ないし9,12,丙12,32ないし34,当審における一審被告大澤本人)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
(一)(1) 一審被告和剛は,昭和47年に京浜急行株式会社から観光汽船の経営権を買収した際,ケイアンドモリタニと守谷一郎が代表取締役をしていた守谷商会とが取引をしており,かつ,同一審被告と守谷一郎とがいとこの関係にあった関係上,守谷一郎にも40万株を引き受けて貰った。
(2) 一審被告和剛は,ケイアンドモリタニないし観光汽船の運転資金として守谷商会から7百数十万円を借り受けたが,右借入金の返済期が極めて短期であり,再三返済を求められて,両名の関係は悪化していたので,守谷一郎との関係を解消しようと考え,借入金を返済した上,守谷一郎から観光汽船の株式40万株を1株10円で買い取ることにした。その後,守谷一郎の要求により,右40万株を一時にではなく,毎年10万株ずつに分けて買い取ることになり,一審被告和剛は,昭和48年末にまず10万株を100万円で買い取った。
(3) 一審被告和剛は,昭和49年に,守谷一郎に対して,その年分の10万株の買取りを申し出たが,それが実行されないうちに,昭和49年10月,同人が死亡した。
(4) 一審被告和剛は,昭和57年6月,守谷正平から観光汽船の守谷一郎名義の30万株について名義書換えを求められ,以上のような経緯があるのでこれを拒否したが,同年10月,守谷正平の懇請により,名義書換えに応じた。
(5) 守谷正平は,昭和62年3月,観光汽船の株式30万株のうち15万株について,税務対策上,一審原告に名義書換えをしたいと要求して,観光汽船はこれに応じた(なお,観光汽船の株式については,平成元年7月13日に譲渡制限が設定された。)。
(6) 観光汽船の株主の推移は,別紙「株主推移明細」記載のとおりである(横川都子造は一審被告和剛の義父に当たる。)ところ,一審被告和剛の所有していた40万株について,観光汽船に対して,譲渡による名義書換えの請求がされたのは,ケイアンドモリタニが倒産した後の昭和59年12月になってからである。
(二) 一審原告は,昭和61年3月13日に設立され,その代表取締役に守谷正平の母守谷彩子が就任したが,平成4年10月28日,代表取締役が中村富茂夫に代わった。
(三) 山本邦明は,平成3年5月に観光汽船の監査役に就任し,平成4年3月3日,東京地方裁判所において,別件各訴訟の記録を閲覧し,弁護士の意見を徴した上,同年4月21日付け書簡で,一審被告田中に対し,観光汽船の役員若しくは役員であった者に善管注意義務・忠実義務違反の行為が認められるので,株主から訴訟を提起するよう請求があればその手続を採ることになる旨,及びこれについて適用法令の妥当性等疑問があれば速やかに連絡願いたい旨を連絡したが,一審被告田中は,これに対して何らの回答もしなかった。
(四) 守谷正平は,平成4年9月ころ,観光汽船の監査役であった山本邦明を介して,同社の取締役に対し,第三者割当増資を要求し,これが断られると,一審原告は,平成5年1月20日,本件訴訟を提起した。
(五) 山本邦明は,平成5年11月8日開催の臨時株主総会において解任され,その後,一審原告の代表取締役に就任した。
(六) 一審原告は,当審における和解の過程においても,一審原告側株主の観光汽船に対する経営支配率を3分の1強とするため,一審原告側の指定する第三者に対して額面による増資をすることを求めた。
右に認定した事実及び引用した原判決認定の事実によれば,一審原告は,観光汽船の経営支配権を確立するため,観光汽船の取締役に対し第三者割当増資を求め,その交渉を有利に導く目的もあって,株主代表訴訟の提起を持ち出し,本件訴えを提起しこれを維持しているものであることは明らかである。
2 ところで,株主代表訴訟は,法的には,形式上も実質上も会社の利益のために行使されるのであり,それ自体,これを提起する株主に直接の財産的利益をもたらす性質のものではないから,その株主が右訴訟の提起により,一方では会社の被った損害の回復を図るとともに,他方では何らかの形で自己の利益を図ることを望んでいたとしても,それだけで直ちに右訴訟の提起が権利の濫用に当たるとするのは相当でなく,右訴訟の提起が,専らないし主としていたずらに会社ないしその取締役を脅しあるいは困惑させ,これによって会社ないし取締役から金銭など不当な個人的利益を得ることを意図したものであるとか,又は右訴訟によって追及しようとする取締役の違法行為が軽微ないしかなり古い過去のものであり,かつ,右違法行為によって会社に生じた損害額も甚だ少額であり,今更取締役の責任を追及するほどの合理性,必要性に乏しく,結局,これによって会社ないし取締役に対する不当な嫌がらせを主眼としたものであるなど特段の事情の認められない限り,右訴訟の提起が株主権の濫用として許されないとすることはできないものと解するのが相当である。
これを本件についてみると,前認定のとおり,一審原告は,観光汽船の経営支配権を確立するため,観光汽船の取締役に対し第三者割当増資を求め,その交渉を有利に導く目的もあって,株主代表訴訟の提起を持ち出し,本件訴えを提起しこれを維持しているものではあるが,観光汽船の取締役及び取締役であった者の違法行為及びこれにより観光汽船の被った損害として一審原告の主張するところは,一概に,その全てが何ら根拠のないものとして排斥することができないものである上,右の主張によれば,一審被告らの行為及びこれによる観光汽船の被った損害も,決して軽微であるということができないものであるし,また,その損害額の大きさ及び既に認定した事実に照らすと,一審原告が,専らないし主としていたずらに会社ないしその取締役を脅しあるいは困惑させ,これによって会社ないし取締役から金銭など不当な個人的利益を得ることを意図して,本件訴訟を提起したものであるとまでいうことは困難であるというべきである。したがって,この点に関する一審被告らの主張は,採用することができない。
二 ケイアンドモリタニに対する貸付け及び債務保証について
1 当裁判所の認定する事実は,次のとおり付加,訂正するほか,原判決の「事実及び理由」第三の二1に記載のとおりであるから,これを引用する。
(一) 原判決16枚目裏1行目の「田中本人」の次に「,当審における一審被告大澤本人」を,同3行目の「17日に」の次に「,実質上亡理助が資金のほとんどすべてを出捐し」を,同8行目の「広告」の次に「代理」を,同末行冒頭の「介で」の次に「,守谷一族において」をそれぞれ加え,同行の「なった」を「した」に改める。
(二) 同17枚目表2行目の「父」の次に「,亡理助の甥,一審被告和剛のいとこ」を,同裏6行目の「なった。」の次に「そこで,昭和50年ころ,」をそれぞれ加え,同末行の「巨額の」を「1億円を超える」に改め,同行の「バースの」の次に「拡張・」を加える。
(三) 同18枚目表6行目の「されなかった」の次に「が,ケイアンドモリタニは,倒産するまで従前と同様の態様において,銀座バースの使用を継続していた」を加える。
(四) 同19枚目表3行目の「不足したため,」を「不足するようになった。」に改め,同4行目の次に行を変えて「ケイアンドモリタニに対しては,昭和61年12月5日午後1時に破産宣告がされたところ,破産管財人の昭和62年2月17日当時の調査によれば,破産宣告時の資産額は約1450万円,負債額は約6億7241万円であったが,昭和63年8月に配当できる金額は約7673万円であった。」を加え,同7行目の「一掃した」を「一掃し,前記のケイアンドモリタニに対する貸付け等をしたにもかかわらず,順調に利益を計上している」に改め,同裏2行目の「残高は,」の次に「観光汽船の帳簿処理によれば,昭和53年度が約2420万円であったのに対し,」をそれぞれ加える。
2 既に認定した事実によれば,① ケイアンドモリタニは,亡理助,一審被告和剛及び同大澤を主たる株主としていたこと,② 本件で問題とされている昭和54年以降についてみると,昭和59年5月30日までは,一審被告和剛が観光汽船及びケイアンドモリタニの代表取締役を務め,一審被告大澤も両社の取締役を兼ねていた時期があったこと,③ 一審被告和剛,同大澤及び亡理助の持株を合計すると,観光汽船の発行済株式総数の約半数,ケイアンドモリタニのそれの過半数を制していた(ただし,一審被告和剛の観光汽船の株式は,昭和55年8月7日に義父に移転されていたが,未だ名義書換えはされていない状態であった。)こと,④ 昭和47年4月以降,ケイアンドモリタニは,観光汽船に対して,運転資金を貸し付け,観光汽船所有の船舶の修繕をケイアンドモリタニの費用負担において行うなど,多大の支援をしてきたが,昭和49年ころからは,逆に,観光汽船がケイアンドモリタニに対して運転資金を貸し付けるなどしてきたこと,⑤ ケイアンドモリタニは,観光汽船が中央区長から河川敷地の占用許可を受けて設置した待合所及び桟橋を改造して,会員制ヨットクラブを経営していたこと,以上の事実を指摘することができるのであって,これらの事実を総合すれば,観光汽船とケイアンドモリタニは,役員及び株主の人的構成の面においても,事業運営の面においても密接な関係にあり,亡理助ら及び一審被告和剛の意識においてはもとより対外的にも「グループ企業」とみられる特別な関係にあったものということができる。
一審被告和剛が,観光汽船,汽船興業及びケイアンドモリタニの3社の株式とも,その過半数を所有したことはなく,一審被告大澤と亡理助とが他の株主の協力を求めれば,一審被告和剛を代表取締役の地位から解任することができたか否かは,右の判断を左右するものではなく,他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) ところで,会社は,営利の追求を目的とする企業であり,その危険と責任において経営を行い,会社の存続発展を図っていかなければならないのであるから,取締役が会社の経営方針や政策を決定するに当たり,ある程度の危険を伴うことがあるのは当然のことであって,会社の取締役が,相互に資本関係がないにしても,人的構成及び事業運営の面において密接な関係にあり,「グループ企業」とみられる関係にある他の営利企業の経営を維持し,あるいは,倒産を防止することが,ひいては自己の会社の信用を維持し,その利益にもなるとの判断のもとに,右企業に対して金融支援をすることは,それが取締役としての合理的な裁量の範囲内にあるものである限りは,法的責任を追求されるべきことではない。このような観点からして,会社の取締役が,自らの会社の経営上特段の負担にならない限度において,前記のような関係にある他の営利企業に対して金融支援をすることは,担保を徴しない貸付け又は債務保証をした場合であっても,原則として,取締役としての裁量権の範囲内にある行為として,当該会社に対する善管注意義務・忠実義務に違反するものではなく,結果的に貸付金等を回収することができなくなったとしても,そのことだけから直ちに会社に対する右の義務違反があるとして,会社に対して損害賠償責任を負うものではないと解するのが相当である。しかしながら,支援先の企業の倒産することが具体的に予見可能な状況にあり,当該金融支援によって経営の建て直しが見込める状況にはなく,したがって,貸付金が回収不能となり,又は保証人として代位弁済を余儀なくされた上,弁済金を回収できなくなるなどの危険が具体的に予見できる状況にあるにもかかわらず,なお,無担保で金融支援をすることは,もはや取締役としての裁量権の範囲を逸脱するものというべきであり,当該会社に対する善管注意義務・忠実義務に違反するものとして,当該取締役は,商法266条により,右行為によって当該会社の被った損害を賠償する責任があると解するのが相当である。
(二) 右の観点から本件について検討する。
既に認定した事実によれば,① ケイアンドモリタニは,昭和54年度以降,毎期に損失を計上する(昭和54年度が約223万円,昭和55年度が約566万円,昭和56年度が約1660万円,昭和57年度が約4820万円)など,その経営状態が悪化し,昭和56年ころからは,融通手形によって資金調達をすることを図らざる得ない状況となり,その上,昭和56年に1億円を超える多額の資金を投下して銀座バースの拡張・改造,クラブハウスの増築・改装,新艇の購入等をした銀座ヨッティングクラブについても,昭和56年ころにはある程度の会員を獲得したものの,その後は思うように会員を獲得することができない状況にあったこと,② しかし,銀座バースについては,昭和57年4月以降,占用許可は更新されなかったが,そのことが直ちにケイアンドモリタニによる銀座バースの使用自体に影響を及ぼしたわけではなく,東京都知事から河川法75条1項に基づく工作物の除却と河川の原状回復を行うよう命ずる監督処分が行われたのは,ケイアンドモリタニが破産宣告を受けた後の昭和63年になってからであり,ケイアンドモリタニは,倒産するまで従前と同様の態様において,銀座バースの使用を継続していたこと,③ ケイアンドモリタニは,融通手形の交換先が倒産したことにより,昭和58年10月に約1億円,同年12月に約6000万円の債務を負うに至り(なお,昭和58年度の損失は約1億8217万円である。),以後は,高利の資金を導入せざるを得なくなり,銀座ヨッティングクラブの会員募集も思うに任せず,結局,昭和59年10月末に不渡手形を出して事実上倒産したこと,以上の事実を指摘することができる。そして,右の事実によれば,ケイアンドモリタニは,昭和54年度以降,逐年その経営状態が悪化しており,銀座ヨッティングクラブの会員募集が思うに任せなかったこともその一因をなしていたものと認められるところ,銀座バースについて占用許可の更新が得られなかったことは,それがケイアンドモリタニの経営にとってマイナスの方向に作用したであろうことは否定できないにしても,同社が,右の更新を得られなかった後にもその倒産に至るまでの間,従前と同様の態様において銀座バースの使用を継続していた事実に照らせば,右の更新を得られなかったとの事実が,ケイアンドモリタニの経営に決定的な悪影響を及ぼしたものと認めることはできず,昭和57年4月時点で同社が倒産するに至ることが具体的に予見可能な状況にあったものと認めることはできない。しかしながら,前記の事実経過に照らせば,昭和58年10月に融通手形の交換先が倒産したため,約1億円にも及ぶ債務を負ったこと(更に,同年12月にも同様にして約6000万円の債務を負うに至ったこと)が,同社の経営に決定的な悪影響を及ぼして同社の経営の基盤を危うくしたものであり,ケイアンドモリタニに対する融資等を継続することによって経営の建て直しが見込める状況ではなかったのである(経営の建て直しが見込める状況にあったことを認めるに足りる証拠はない。)から,この時点で,同社が倒産するに至ることが具体的に予見可能な状況になったものと認められる。
右のような事実を前提として考えると,観光汽船及びケイアンドモリタニの代表取締役をしていた一審被告和剛はもとより,観光汽船の取締役をしていた者にとっても,昭和58年10月には,ケイアンドモリタニの経営の基盤が危うく,同社が倒産するに至ることが具体的に予見可能な状況にあり,したがって,同社に対して貸付けをし,又は同社の債務につき保証をすれば,貸付金が回収不能となり,又は保証人として代位弁済を余儀なくされた上,弁済金を回収できなくなる危険が具体的に予見できる状況となったが,それ以前においては,未だ右のような状況にあったとはいえないと認めるのが相当である。
なお,一審被告らは,ケイアンドモリタニは,昭和59年3月31日ころまで各債務の返済を継続していたのであり,このような返済実績からすれば,同年6月末ころまでは,ケイアンドモリタニの倒産等同社への貸付金の回収不能の危険性が具体的に予見できる状況にあったとはいえない旨主張するところ,証拠(甲28)及び弁論の全趣旨によれば,ケイアンドモリタニは,センチュリーリース,昭和リース及び協和銀行に対する債務については,一審被告和剛の主張するとおりの返済を続けていたこと,及び観光汽船に対し,昭和57年4月から昭和59年3月31日までの間についてみると,合計2652万円余を返済したことが認められるが,一方,ケイアンドモリタニは,その間に観光汽船から合計1億2450万円の貸付けを受けているのであって,右の返済額は,累積した借受金総額からすればごく僅かにすぎないといえるのみならず,ケイアンドモリタニの倒産時の負債が6億7241万円にも達していたことに照らすと,ケイアンドモリタニが昭和59年3月31日まで,前記の各債務について,その一部を返済していたからといって,右の時期までケイアンドモリタニに返済の余力があったものと認めることはできず,右の事実は,前記の判断を左右するに足りるものではないというべきである。
(三) 前認定の事実並びに証拠(原審における一審被告和剛・同田中各本人)及び弁論の全趣旨によれば,観光汽船の代表取締役であった一審被告和剛(その後,同田中)は,観光汽船とケイアンドモリタニとが一体の企業であるとの認識のもとに,ケイアンドモリタニの経営を維持することは,ひいては観光汽船の信用を維持しその利益にもなるとの考えから,ケイアンドモリタニに対する金融支援を継続してきたものと認められるところ,右に説示したところによれば,昭和58年10月以降は,ケイアンドモリタニに対し,新たに多額の金銭の貸付けや債務保証を行うことは,観光汽船の取締役としては差し控えるべきであり,仮に,貸付け等をするにしても,ケイアンドモリタニが倒産する事態に備えて確実な担保を徴するなどの十分な債権保全措置を講ずるべきであったというべきである。それにもかかわらず,一審被告和剛は,昭和58年10月以降も,十分な債権保全措置を講ずることなく,ケイアンドモリタニに対し,原判決別紙貸付債権目録(以下「貸付債権目録」という。)記載38ないし46のとおり合計1億4900万円もの金銭を貸し付けた(貸付残額合計1億4500万円)ほか,昭和58年10月31日,ケイアンドモリタニの5000万円の債務につき連帯保証をした(代位弁済合計額5137万9122円)のであるから,これらの貸付け及び保証行為は,取締役としての善管注意義務・忠実義務に違反するものというべきである。
もっとも,既に認定した貸付けの経緯に照らして,昭和58年11月5日の1億円の貸付金のうち5000万円については,観光汽船が昭和58年10月(更には,昭和57年4月)よりも前に負っていた債務の継続であり,右時期以降に実質的に新たな債務を負ったものとは認められないというべきである。
(1) 一審被告田中ら5名は,ケイアンドモリタニの事業の好転を信じており,これが倒産するとの予見はできなかったし,また,個々の貸付け等が回収不能になることも予見できなかった旨主張する。
しかしながら,前認定の事実によれば,昭和58年10月には,観光汽船の取締役は,ケイアンドモリタニの経営の基盤が危うい状態にあり,金融支援によって経営の建て直しが見込める状況にはないことを認識できたものと認められるのであって,仮に,昭和59年2月ころまでこれを認識していなかったものとすれば,観光汽船の取締役として,融資先に対する債権の保全管理上,怠慢であったといわなければならない。したがって,この点に関する一審被告田中ら5名の主張は,採用することができない。
(2) 一審被告らは,観光汽船のケイアンドモリタニに対する個々の貸付け等について,その責任を争うので,この点について検討する。
① 昭和58年10月31日の協和銀行に対する5000万円の債務保証について
一審被告田中ら5名は,右の債務保証は,ケイアンドモリタニの運転資金の借入れについての保証であり,観光汽船としては,ケイアンドモリタニの事業の好転を期待できる時期であったので,企業人として合理的な選択の範囲内である旨主張し,また,一審被告和剛は,ケイアンドモリタニは,協和銀行に対する債務の返済を継続し,昭和59年11月末の残高は3000万円となっているのであるから,観光汽船が債務保証をした時点で,ケイアンドモリタニが継続して返済し完済できるものと判断したとしても,何ら不自然ではない旨主張する。
しかしながら,既に述べたとおり,右債務保証の時点において,ケイアンドモリタニの経営の基盤が危うい状態にあり,金融支援によって経営の建て直しが見込める状況にはないことを認識できたのであり,したがって,この段階で同社に貸付けをすれば,ケイアンドモリタニの倒産により観光汽船が損害を被ることは具体的に予見できたものというべきであるから,右の主張は,採用することができない。ケイアンドモリタニがその債務の返済を継続していたとの事実があっても,右の判断を左右するに足りるものではない。
② 昭和58年11月5日の1億円の貸付けについて
一審被告らは,昭和58年11月5日の1億円の貸付けは,観光汽船及びケイアンドモリタニの各所有物件について,観光汽船を債務者として協和銀行に根抵当権を設定して借り入れたものをケイアンドモリタニに貸し付けたものであるが,これは,高い金利を安くするために借り替えたものであり,観光汽船のグループ企業であるケイアンドモリタニの負担を少しでも軽くすることは観光汽船の利益になると考えることは,合理的な選択の範囲内である旨主張する。
証拠(甲22の1,2,23,30,原審における一審被告和剛本人)及び弁論の全趣旨によれば,a ケイアンドモリタニは,昭和54年3月20日,観光汽船及びケイアンドモリタニ所有の各建物(マンションの一部)につき抵当権を設定(同月22日設定登記)して,観光汽船名義で全国信用協同組合連合会(取扱店・第三信用組合)から,5000万円を利息・年7.8パーセント,損害金・年14.6パーセントの約定で借り受けたこと,b ケイアンドモリタニは,同月20日,右各建物につき,極度額を2000万円(昭和56年3月5日に3000万円に変更)とする根抵当権設定契約を締結(同月22日根抵当権設定登記)して,第三信用組合から2000万円を借り受けたこと,c ケイアンドモリタニは,昭和57年12月20日,右各建物及びその敷地の両社の各共有持分につき,極度額を7000万円とする根抵当権設定契約を締結(同月24日設定登記)して,第三信用組合から7000万円を借り受けたこと,d 観光汽船は,昭和58年10月31日,前記各物件につき,極度額を1億円とする根抵当権を設定(同年11月11日設定登記)して,協和銀行から1億円を借り受けたこと,e 観光汽船は,同年11月5日,ケイアンドモリタニに対して右1億円を貸し付け,同社は,これを前記aないしcの各被担保債務の弁済に当て,同年11月11日,抵当権及び根抵当権設定登記の各抹消登記を経由したこと,f 破産者ケイアンドモリタニの破産管財人と観光汽船とは,ケイアンドモリタニが前記eの借入金1億円のすべてを費消した事実,右借入金の残債務は,同社が不渡手形を出した昭和59年10月末日時点で8800万円,破産宣告後の昭和61年12月末日時点で4800万円であり,不渡事故後の債務の減少は,すべて観光汽船が弁済したことによるものである事実等を考慮して,昭和63年1月ころ,観光汽船が,破産管財人から3700万円の支払を受けて,ケイアンドモリタニ所有物件に設定されている前記eの根抵当権の抹消を得るとの和解をし,その後,観光汽船は,破産管財人から3700万円の支払を受けたこと,以上の事実が認められる。
右の事実によれば,観光汽船からケイアンドモリタニに対する昭和58年11月5日の1億円の貸付けのうち5000万円は,観光汽船及びケイアンドモリタニの各所有物件について抵当権を設定して,昭和54年3月20日,観光汽船を債務者として全国信用協同組合連合会から借り入れた5000万円の借入金を借り替えるためにしたものであると認められるのであるから,右5000万円については新たに貸し付けたものではなく,観光汽船の損害には当たらないが,その余の5000万円については新たに貸し付けたものであり,観光汽船の損害に当たると認めるのが相当である。
一審被告らの主張するとおり,右の貸付けが,借替えにより高い金利を安くして,観光汽船のグループ企業であるケイアンドモリタニの負担を少しでも軽くするためにされたものであるとしても,既に述べたとおり,右貸付けの時点において,同社に貸付けをすれば,観光汽船が損害を被ることが具体的に予見できたというべきであるから,その貸付けの動機が一審被告らの主張するとおりのものであったとしても,取締役としての責任を免れないというべきである。
③ 昭和59年1月31日から昭和59年3月12日までの合計1300万円の貸付けについて
一審被告田中ら5名は,右の貸付けについて,観光汽船の取締役会が開催されたことはなく,また,観光汽船の業績からいっても,特段の負担にはならないものであった旨主張する。
しかしながら,既に述べたとおり,昭和58年10月当時,ケイアンドモリタニに貸付けをすれば,観光汽船が損害を被ることが具体的に予見できたというべきであるから,その損害額が,観光汽船の業績からいって,同社にとって特段の負担にはならない程度のものであったとしても,取締役としての責任を免れないというべきである。なお,右の貸付けについて,仮に,観光汽船の取締役会が開催されたことがなかったとしても,亡理助らは,観光汽船の取締役として,一審被告和剛の業務執行一般について監視し,取締役会を招集することを求め,取締役会を通じてその業務執行が適正に行われるようにすべき職責を怠ったというべきであるから,取締役としての監視義務違反の責任を免れることはできない。
④ 昭和59年4月以降の合計4000万円の貸付けについて
一審被告田中らは,亡理助らがケイアンドモリタニが倒産するかも知れないことを認識したのは,昭和59年4月の観光汽船の取締役会の席上であるところ,ケイアンドモリタニの倒産によって,公共輸送機関である観光汽船への直接的な影響が及ばないような対処,手段を講じるには時間が必要で,その間つなぎの融資をしてでも,観光汽船を守るしかないと判断し,ケイアンドモリタニには合計4000万円の貸付けを行ったものであるが,1日に1000万円を越える売上げのある5月のゴールデンウィークを控えていた時期であり,観光汽船のためにはやむを得ない選択というべきである旨主張する。
しかしながら,右の主張によっても,一審被告らは,既にケイアンドモリタニが倒産するかも知れないことを認識していたにもかかわらず,同社に貸付けをしたのであり,その結果,倒産のため貸付金を回収することができず,観光汽船に損害を被らせたのであるから,貸付けの動機が一審被告田中ら5名の主張するようなものであったとしても,取締役としての善管注意義務・忠実義務に違反したものとして,観光汽船に対する損害賠償責任を免れないというべきであり,この点に関する一審被告田中ら5名の主張は,採用することができない。
(3) 一審原告は,昭和54年4月5日以前の観光汽船のケイアンドモリタニに対する貸付残元本額は約2420万円にすぎないから,昭和58年11月5日の1億円の貸付金について,損害賠償額から控除するとしてもその額は約2420万円にすぎないはずである旨主張する。
しかしながら,右の1億円が全額観光汽船からケイアンドモリタニに対する貸付金とされている事実及び5000万円の借入れの直後の昭和54年3月31日現在の貸付残元本額が約2420万円とされている事実並びに弁論の全趣旨に照らせば,右の約2420万円には,ケイアンドモリタニが昭和54年3月20日に観光汽船名義で借り入れた5000万円が計上されていないものと認められるから,一審原告の前記主張は,採用することができない。
(四)(1) 証拠(原審における一審被告田中本人)によれば,一審被告田中は,同和剛が取締役を退任した後の昭和59年9月4日,観光汽船を代表して,ケイアンドモリタニに対し,貸付債権目録記載47のとおり400万円を貸し付けた際,ケイアンドモリタニがいずれ倒産せざるを得ない状況にあることを認識していたものと認められるので,右の貸付行為もまた取締役としての善管注意義務・忠実義務に違反したものというべきである。なお,一審被告和剛は,右の貸付け当時,取締役を退任していたのであるから,同一審被告に対し,取締役としての善管注意義務・忠実義務に違反したことによる損害賠償責任を問題とする余地はない。
(2) 一審原告は,一審被告和剛は,観光汽船の取締役退任後も,代表取締役当時の違反行為の継続として,一審被告田中らと通謀して観光汽船からケイアンドモリタニに400万円の貸付けをさせたのであるから,一審被告田中らとともに右の行為について賠償責任を負うと解すべきである旨主張する。
しかしながら,一審被告和剛が一審被告田中らと通謀して観光汽船からケイアンドモリタニに400万円の貸付けをさせたとの事実を認めるに足りる証拠はないのみならず,仮に,取締役でない一審被告和剛が取締役である一審被告田中らと共謀して違法行為をし,観光汽船に損害を与えたために,同社に対して損害賠償責任を負担するものとしても,一審被告和剛が観光汽船に対して負担する右損害賠償責任は,商法267条にいう「取締役ノ責任」に当たるものとはいえないので,一審原告は,同条に基づき,一審被告和剛に対して,損害賠償請求をすることはできないものというべきである。一審原告の前記主張は,独自の見解であって,採用することができない。
4 以上のとおり,一審被告和剛は,昭和58年10月31日から昭和59年6月26日まで,観光汽船の取締役としての善管注意義務・忠実義務に違反して,ケイアンドモリタニに貸付け等の行為をしたが,その際,観光汽船の取締役であった亡理助らが一審被告和剛の右行為を全く阻止しなかったことは当事者間に争いがなく,前認定の事実及び証拠(甲12ないし14)によれば,一審被告和剛は,観光汽船の取締役に相談した上で右の行為をしたこと,相談を受けた右の者らは,ケイアンドモリタニの経営が悪化し,その経営の基盤が危うく,経営の建て直しが見込める状況にはなく,倒産の危険があることを十分知り得る立場にあり,かつ,従前の貸付けについてほとんど返済がされていないにもかかわらず,特段の債権保全措置を講ずることもなく多額の貸付け等を行うものであることを認識し,あるいは少なくとも認識し得たにもかかわらず,代表取締役であった一審被告和剛の意向に唯々諾々と従って右の行為を了承していたことが認められるのであるから,亡理助らが取締役としての監視義務に違反したことは明らかである。
また,昭和59年9月4日の一審被告田中の貸付行為についても,亡理助,一審被告大澤及び同武紘に右監視義務違反があることは明らかである。
三 汽船興業の銀座ヨッティングクラブ会員権の取得及びケイアンドモリタニに対する貸付けについて
当裁判所も,汽船興業の銀座ヨッティングクラブ会員権の取得及びケイアンドモリタニに対する貸付けについて,一審被告らは,損害賠償責任を負わないものと判断する。その理由は,当審における主張に対する判断を次のとおり付加するほか,原判決の「事実及び理由」第三の三に説示のとおりである(ただし,原判決25枚目表2行目の「有しており」の次に「(なお,昭和60年6月当時,観光汽船が右の株式を有していたほか,一審被告田中が230株,亡理助が200株,一審被告武紘及び同大澤が各180株,同福田が100株,同和剛が1株を有していた。)」を加え,同3行目及び同5行目の各「興行」を「興業」にそれぞれ改め,同10行目の「和剛」の次に「又は同田中」を加える。)から,これを引用する。
一審原告は,汽船興業の発行済株式は,その約75.2パーセントが観光汽船により,その余のうち22.3パーセントが一審被告田中,亡理助,一審被告武紘,同大澤,同福田ら観光汽船の経営支配側役員に保有され,残りの僅か100株も観光汽船の経営側関係者で保有されているなど,観光汽船と汽船興業とは,いわば一心同体の関係にあるのであるから,一種の法人格否認の法理又は権利濫用の法理の類推により,前記の行為は,観光汽船の取締役としての善管注意義務・忠実義務に違反すると考えるべきであるし,これによる汽船興業の損害は,それ自体観光汽船の損害と考えるべきである旨主張する。
しかしながら,証拠(甲19の1ないし6,20の1ないし15)と原判決認定の事実によれば,昭和58年11月ころから昭和59年11月ころにかけて,観光汽船と汽船興業とは,その役員構成,資本関係,営業関係の面で密接な関係にあり,汽船興業は,観光汽船の子会社であるといえるが,いわゆる100パーセント子会社ではなく,また,汽船興業の法人格を否認すべき事情も認められない上,一審原告の主張する取得,貸付けが観光汽船の指示と計算によってされたものであることを認めるに足りる証拠もないのであるから,一審原告主張の行為によって,直ちに観光汽船が損害を被ったものとはいえないし,また,これに関与した観光汽船の取締役に,同会社に対する善管注意義務・忠実義務違反があったということもできないというべきである。したがって,この点に関する一審原告の主張は,採用することができない。
四 破産債権届出の取下げについて
当裁判所も,破産債権届出の取下げについて,一審被告らは,損害賠償責任を負わないものと判断する。その理由は,当審における主張に対する判断を次のとおり付加するほか,原判決の「事実及び理由」第三の二4に説示のとおりである(ただし,原判決24枚目表2行目の「12,」の次に「28,29,」を加える。)から,これを引用する。
一審原告は,観光汽船とケイアンドモリタニを「グループ企業」という特別な関係にあるものと考えることはできないし,また,破産債権届出の取下げが合理的であったと評価することもできない旨主張する。
しかしながら,前記二に説示したとおり,観光汽船とケイアンドモリタニは,役員及び株主の人的構成の面においても,事業運営の面においても密接な関係にあり,対外的には「グループ企業」とみられる特別な関係にあったものということができるのであって,我が国における一般の企業意識に照らせば,一審被告田中が,観光汽船の代表取締役として,破産管財人の要請に応じて破産債権の届出の取下げをしたことをもって,取締役の善管注意義務・忠実義務に違反するということはできない。したがって,この点に関する一審原告の主張は,採用することができない。
五 裁判上の和解について
当裁判所も,裁判上の和解について,一審被告らは,損害賠償責任を負わないものと判断する。その理由は,当審における主張に対する判断を次のとおり付加するほか,原判決の「事実及び理由」第三の四に説示のとおりであるから,これを引用する。
一審原告は,一審被告田中としては,観光汽船が支払うものとされた和解金の最終負担者を一審被告大澤及び亡理助とし,両名に対して速やかに,観光汽船が支払った和解金の弁済を求めるべきであった旨主張する。
確かに,観光汽船が支払うものとされた和解金の最終負担者を一審被告大澤及び亡理助とする和解も,右両名がこれに応じる場合には,あり得る和解形態ではある。しかしながら,右両名がこれに応じない場合には,右のような和解を成立させることができないのであるから,一審被告田中が右のような和解をしなかったからといって,直ちに取締役としての善管注意義務・忠実義務に違反したものということはできず,この点に関する一審原告の主張は,採用することができない。
六 消滅時効について
前記二に説示したところによれば,一審被告らの消滅時効の主張については,判断の必要がないことになる。
七 まとめ
1 以上に述べたところをまとめると,一審被告らが支払うべき損害の額は,次のとおりとなる。
(一) 一審被告和剛について
(1) 一審被告和剛は,貸付債権目録記載38ないし46の貸付金合計1億4900万円から,実質的にみて新たな債務負担とは認められない5000万円を控除した金額9900万円のうち,ケイアンドモリタニの倒産によって回収不能となった9500万円,及び貸付金がケイアンドモリタニの協和銀行からの借入債務について代位弁済し回収不能となった5137万9122円の総計1億4637万9122円の損害を観光汽船に与えたものである。
しかし,観光汽船がケイアンドモリタニの破産手続において,破産管財人との和解により3700万円を回収したことは当事者間に争いがなく,証拠(甲22の1,30)によれば,右3700万円は,法的性質は和解金であるものの,実質的には,観光汽船のケイアンドモリタニに対する昭和58年11月5日の貸付金の一部弁済的な性質を有する面があると推認されるので,結局,一審被告和剛が貸付金に対して支払うべき損害賠償額は,これを控除した残額1億0937万9122円となる。
(2) 一審原告は,破産管財人が支払った3700万円は,1億円の貸付金に対して支払われたものであるから,右1億円のうち賠償金額と対象外金額との按分割合に応じて控除すべきである旨主張する。
しかしながら,本件においては,観光汽船のケイアンドモリタニに対する貸付金のうちのいずれが残存しているかが問題ではなく,一審被告和剛の行為によって,観光汽船にどの程度の損害が生じたかが問題であるから,破産管財人の支払った3700万円は,いずれにしても観光汽船の貸付金ないし損害を減少させるものとして,観光汽船の損害額として認めた前記5000万円からその全額を控除するのが相当である。したがって,一審原告の前記主張は,採用することができない。
(二) 一審被告田中ら4名について
(1) 一審被告和剛の貸付行為等について,亡理助らの監視義務違反による損害賠償額は,右(一)(1)と同じ1億0937万9122円である。
(2) 一審被告田中の貸付債権目録記載47の400万円の貸付行為については,同額が観光汽船に支払うべき損害賠償額であり,監視義務に違反した亡理助,一審被告大澤及び同武紘についても同様である。
(3) 一審被告福田は,損害賠償責任を負わない。
(4) したがって,亡理助,一審被告田中,同大澤及び同武紘が観光汽船に支払うべき金額は,1億1337万9122円であり,亡理助の相続人である一審被告春子が支払うべき金額は,その半額である5668万9561円である。
2 付帯請求について
当裁判所も,遅延損害金の起算日については,原判決と同様に判断する。その理由は,原判決の「事実及び理由」第三の六3に説示のとおりであるから,これを引用する。
よって,一審被告田中,同大澤,同武紘及び同春子の各控訴並びに一審被告和剛の附帯控訴に基づき,右と一部異なる原判決主文第一項を右のとおりに変更し,一審原告の控訴はいずれも理由がないからこれを棄却し,訴訟費用の負担につき民事訴訟法96条,95条,89条,92条,93条を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 塩崎勤 裁判官 瀬戸正義 裁判官 川勝隆之)
<以下省略>